ここでは、十二国の地図を数点載せている。
まずは、文庫本に載せられている図をまとめた地図である。
■十二国地図1
文庫本の図を元にした地図(1000×1000、300KBくらい。別窓表示)
黒色字・・・文庫本の図に記されている地域名 |
青色線・・・河 |
灰色字・・・州名 |
こげ茶色線・・・道 |
緑色字・・・国名 |
白色線・・・航路 |
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さて、文庫本に載せられている図は大変に素敵な出来映えである。
本当に良くできている。
が、しかし
本編を読み進めていくと、多少の相違点が見えてくる。
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本編での記述と文庫本の図の相違点 |
慶国 |
瑛州の形と固継の位置
瑛州は首都尭天を中心に弓なりに曲がっている。瑛州の北部北韋郷はその弓の先端の部分にあたるから。尭天よりもかなり西に位置した。さらにその東端にあるのが固継、〜(「風の万里 黎明の空/上」p205)
しかし、図をみると尭天よりも西に弓の先端部分はあるものの、“かなり西”というほどではない。
瑛州の形をもっと弓なりにして、北韋郷の位置が尭天よりも“かなり西”になるようにしてみた。
文庫本の図を
元にした瑛州図 |
北韋郷の位置を尭天よりも
“かなり西”に置いた瑛州図 |
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巧国 |
配浪・五曽・河西・拓丘の位置関係
「月の影 影の海(上)」p105〜188をみると、位置がはっきりしているのは五曽だけである。
そこから割り出していきたいと思う。
・五曽
五曽から慶国との境までは、北へ歩いて十日ほど
(「月の影 影の海(上)」p142)
配浪は、五曽からまっすぐ東に歩いて五日
(「月の影 影の海(上)」p142)
五曽から配浪までは、まっすぐ東に歩いて五日。この「まっすぐ東に」というのが、どの程度真っ直ぐなのかで五曽の位置はかなり変わってくるのだが、五曽の東方向に配浪があることだけは確かだ。ということは、配浪=海岸沿いの街なので、海岸線から西に五日分歩いたところが五曽。
【慶の境から徒歩で十日分南下したところ】と【海岸から五日分西へ進んだところ】が交わった場所に五曽の街があることになる。
しかし、文庫本の図を見ると、五曽から見て南東に位置している。はっきり言って、これでは「まっすぐ東」には当て嵌まらない。
そこで私は、文庫本の配浪周辺の図をまったく無視することにした。(異議あり!ってことです。)
・配浪
ここは海岸に近い街であることは確かだ。
「月の影 影の海(上)」p73〜87を読むと、海岸に流れ着いた陽子が配浪に(捕らえられた形ではあるが)行き着くまで半日以上かかっている。しかし、陽子は、ぼーっとしたりうろうろしたりしてから捕らえられているので、おそらく、普通に歩いていけば海岸から配浪までの距離は徒歩30分くらいと思われる。
まさに海岸沿いの街といってもよいだろう。
基点となる五曽の位置から東へ五日分歩いた海岸線付近が配浪。これで決まりだ。
しかし、ここで問題が起こる。五曽から真東に配浪を配置すると、河西と拓丘の置き場がなくなってしまうのである。よって、五曽の東南東もしくは東北東に配浪を置かざるをえなくなるのである。
・河西
(五曽から)東に行った所に河西という街がある (「月の影 影の海(上)」p149)
文庫本の図では五曽の東というか、南になってますけど!
五曽から河西までは歩いて三日 (「月の影 影の海(上)」p151)
・拓丘
配浪から拓丘までは馬車で半日 (「月の影 影の海(上)」p105)
馬車で半日ということは、距離で言うと25〜40q。徒歩で1〜2日。
河西から拓丘までは徒歩で三日(「月の影 影の海(上)」p188)
思いのほか配浪から近い。しかも、河西を五曽の東に位置させなければいけないので、どうしても海岸沿いになってしまう。
・成
五曽から河西へ行く途中(おそらく二日目だと思われる)の三叉路に「成 五里」の石碑(「月の影 影の海(上)」p165)
日本では一里=4qだが、ここでは一里=数百mといったところらしい。
成というのが里の名だとしたら、石碑のある場所から2〜5q(30分〜2時間)歩いたところにそれはある。
さて、成の具体的な場所だが、この「石碑がある場所は三叉路」というのがネックになってくる。石碑が示す五里先の場所が
A 河西へ行く途中の街道沿いの街(里)
B 五曽〜河西へと伸びる街道から枝分かれして伸びている街道の先にある街(里)
C 石碑から五曽方面へ行った(つまり陽子たちが通り過ぎた)ところにある街(里)
のどれなのか判らないのである。
まあ、五曽と河西の中間あたりにあるということだけは間違いなさそうだ。
配浪周辺図 |
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北東配置図 |
南東配置図 |
北東配置と
南東配置を合わせた図 |
蝕によって巧国に流れ着いた陽子は、配浪〜五曽〜河西〜拓丘と進んでいる。
つまり、陽子は配浪から西に進んで五曽に到着。そこから反転する形で河西へと移動。そして拓丘へ向かったことになる。
文庫本の図を見ると、河西は五曽の南に位置している。しかし、作中では、河西は五曽の東に位置づけられている。やはり「異議あり!」なのだ。
拓丘の位置との兼ね合いを考慮して、河西は五曽の北東か南東に配置するのが妥当であろう。
個人的好みで南東配置に決定。
2005/11/14改訂
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五山 |
十二国の中央、五山の配置
「月の影 影の海(下)」で楽俊が「世界の真ん中に崇山があって、その四方に東西南北の山がある。それぞれを蓬山、華山、霍山、恒山と呼ぶのが普通だ。」と語っている。
しかし、図を見ると、やや西に偏っている。
文庫本の図による
五山の配置 |
楽俊が語った五山の配置 |
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文庫本の図には記載されてないが
本編から場所が見えてくる地域もいくつかある。
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文庫本の図には記されてないが、本編から推測できる地域 |
慶国 |
合水(河川)
陽子が固継から拓峰へと移動するときに
瑛州と和州の州境をなす合水・・・。この合水上流のように・・・。(「風の万里 黎明の空/上」p328)
とある。
固継と拓峰の間辺りが合水の上流。そして、その河は州境をなしている。
瑛州と和州の州境に沿って虚海へと流れていると判断していいのだろうか?
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雁国 |
碧霄(天領)
元州との境を越えてすぐのところ。凌雲山が禁苑になっていて霄山といわれている。(「漂舶」)
最初、天領というのだから首都関弓のある靖州に碧霄があるものだとも思ったのだが・・・文庫版の図を見ると、靖州は元州と接していないのである。接していなければ境は無い。ということで靖州内説は「ハイッ!消えたぁ!!」。
“元州との境を越えたすぐのところ”というのは、艮の里(雁国靖州の跳び地)にある宗闕の番人と延麒ろく太の会話に出てくる一節だ。
艮の里とは、令艮門の海側の部分のことを示す。
ということは・・・
1.現在地が(跳び地といえども)靖州であるから、『艮の里と(黒海を隔てた)元州の境を越えたすぐのところ。』ということで、元州南部の沿岸部分。
2.現在地は跳び地であり、なおかつ、間に黒海を挟んでいるので元州と接しているとはいえない。元州との境というのは、雁国本土内の話で、『貞州と元州の境を越えたすぐのところ』を示す。
のどちらかかと思われる。
普通に考えれば、2の方でしょうな。
ということで、元州の南部だと推測。
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芳陵
烏号から十一日(関弓まで三分の一)の辺りから道をそれたところ(「月の影 影の海/下」p115〜117)
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容昌
芳陵の隣町(「月の影 影の海/下」p142)
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新易
(頑朴での会話)漉水対岸の新易(「東の海神 西の滄海」p223)
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貞州
貞州白郡首陽郷烏号(「月の影 影の海」p112)
ということで烏号のある州が貞州。
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戴国 |
轍囲
文州中部にある轍囲という県城〜(「黄昏の岸 暁の天」p85)
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巧国 |
河西の側を流れる川
河西の街は川の畔に大きなビルのような姿で現れた。(「月の影 影の海/上」p170)
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成
五曽と河西の間にある里の名?
街道の角には必ず小さな石碑が立っていて、行き先と距離が刻まれていた。その石碑には「成 五里」と刻んであった。(「月の影 影の海/上」p165)
ということは 成 は行き先名?
先で述べたように、五曽〜河西間は徒歩で三日かかる。陽子たちがこの石碑の場所を通ったのは、おそらく旅の二日目(「月の影 影の海/上」p162〜170参照。もしかしたら違うかも)。そして、あちらの五里=2〜5q(30分〜2時間)をあわせて考えると、石碑の五里先にある街(里)が河西である可能性はきわめて低いと思われる。
ということで、成=里の名 と考えたのだが、どうだろうか?
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郭洛
鹿北を出発した陽子と楽俊が夕方に着いた街。((「月の影 影の海/下」p58)
出発時間がわからないが、おそらく朝早くに出発したと思われる。
ということは、鹿北から6〜12時間(18〜36q)歩いたところに郭洛があるということだ。
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恭国 |
臨乾
臨乾は港を擁する。この港から一日に一便、乾県へと向けて船が出ていた。(「図南の翼」p74)
検証2
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ちょっと無理があるかもしれないが、なんとか推測できる地域 |
雁国 |
烏号
十二国記ファンからしてみれば良く知れた街だというのに、意外にもはっきりとした場所が確定できない。十二国記OLGの地図の位置から、だいたいの場所を推測。
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才国 |
奉賀
才国の東に位置する高岫の街(「華胥の幽夢/華胥」p243)
東の高岫の街なのは判るが、北部なのか、中央部なのか、南部なのかがわからない。
「少し肌寒いかも〜」(「華胥の幽夢/華胥」p244より)という会話があることから北部?とも思えるが、ただ単に山間部なので「少し肌寒い」のかもしれない。
「華胥の幽夢/華胥」を読むと、才国首都揖寧から奉賀までは、馬車で一ヶ月以上かかるという(「華胥の幽夢/華胥」p238)。
検証3 。
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柳国 |
芝草の湖
湖のほとりに、白い石で造られた街(芝草)が拡がっている。(「華胥の幽夢/帰山」p301)
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検証 |
検証1 達姐の台詞から推測する一国の大きさ
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人が一日に歩ける距離は(個人差や道のあるなしによって変わるだろうが)30〜50km程度。
それ以上いけるという健脚の方もおられるだろうが、何日も歩き続けるとなれば30〜50kmぐらいが妥当なラインだろう。
(江戸時代の飛脚は、一日に200kmも移動できたらしい。)
「月の影 影の海/上」p143で達姐が「この巧国を東西に端からは端まで歩いて三ヶ月」「隣の国に行くには山か海を越えなきゃならないから、四ヶ月」と言っている。
達姐は女性ということと、なおかつ巧国の道が良い条件の道とは思えないので、一日に歩く距離は少し割り引いた30km(時速3km×10時間)とする。30キロ×三ヶ月(30日×3=90日)=2700kmだが、これは直線距離ではないので、便宜的に2500kmとしてみる。
2500kmってどのくらいかというと・・・
巧国に日本を重ねた図 |
このくらいである。
日本列島がすっぽり入ってしまう大きさなのだ。
ついでに、国土の面積も求めてみよう。
頭を45度ほど右に傾けて上の図を見てもらいたい。
見ましたか?
巧国は、ほぼ四角形といえる形をしていますね。
ということは、対角線が2500kmの四角形の面積を求めれば、だいたいの面積は出てくる。
2500×(2500÷2)=3125000
おおよそ312万5000平方km。
312万平方kmというと、インド(328万7590平方km)と同じくらいの広さだ。インドといわれてピンとこない人もいると思うので、補足すると、アメリカ(936万3529平方km)や中国(959万6961平方km)の三分の一ぐらいだ。ちなみに、日本の国土面積は37万7846平方km。
かなり大雑把な検証であることをお詫びいたします。
m(_ _)m
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検証2 帆船の記述から推測する黄海へ渡るための港街 |
「図南の翼」(p74)によると、(臨乾から)令乾門のある乾県まで帆船で半日かかるらしい。
帆船の速度は(船の精度、風の強弱によって差はあるだろうが)時速30km程度だから、時速30キロ×12時間(半日)=360kmとなる。
令乾門のある乾県から360km地点の恭国沿岸部を求めればよいのである。
どうやって、360kmを地図に当てはめるか。
検証1 で、2500kmという物差しを持っているから、これは容易いことである。
すると、
乾県から360qの場所 |
この二箇所が候補地となる。
またも、個人的な感覚でBの地点に臨乾の位置を決定。
注しかし、当て嵌めてみて変だなと思うのは、オンライン・ゲームの烏号の位置といい、巧国は内海の港街である阿岸の位置といい(烏号、阿岸とも門へと渡る港であるかどうかは定かでないが)、この臨乾といい(この考察が的中しているとも思えないが)、黄海から直線距離で最短な場所ではないのだ。黄海の四門へ向けて、最短の場所に港を造るのが自然の流れだと思うのだが、これはどういうことだろう?
もしかして・・・距離の割り出しに根本的な間違いがあるのだろうか?(*_ _)
そんな不安を抱きつつも、臨乾の位置の検証は終了。
かなり大雑把で強引な検証であることをお詫びいたします。
m(_ _)m
追記 再検証
通りすがりの方から
>あの世界の技術であれば、帆船の航行速度は平均時速10キロあたりが妥当な数値化と思います。
とのご意見をいただきまして、ごもっともだと思いましたので再検証することにしました。
時速10qで半日というと (時速/q)10×(半日/時間)12=120(q)
そうか臨乾と乾県の間は120qほどの距離なんだ・・・。
ちょっとまて、我が地図で測ってみると、臨乾〜乾県間は150〜200qあるぞ!
ここで2500qの物差しがアテにならないということが確定。
まぁ、多少の誤差はあるということで・・・アセアセ。
臨乾と乾県の間 |
しかし、120qほどの距離だとすると、乾県までの最短距離の場所に臨乾を配置できる。注で述べた疑問のひとつが解決するわけだ。(烏合の場所についての疑問は残るが・・・。)
とにかく、臨乾の場所は恭の岬付近の可能性が高くなった。なによりなにより♪
サンクス:通りすがりさん
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検証3 采麟が乗った馬車の速度
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○馬車の速度
・馬車の速度
速度としては、人間の早歩きと変わらない。荷の重さや道のよしあしにもよるが、時速5〜8kmくらいである。
ということは、一日(10時間)に移動できる距離は50〜80kmほどだろうか。
・馬を走らせた場合の馬車
全力で走らせればかなりの速度になるだろうが、その分、休憩時間を長くとらなければ馬が潰れてしまう。
余裕を持たせた走らせ方であれば、(これも荷の重さや道のよしあし、馬の頭数によって変わってくるだろうが)時速20〜40kmほどだろう。
これに休憩時間(20分走って10分休憩)を考えると、一日に移動できる距離は120〜250qほどだろうか。
○馬の速度(馬車ではなく、単体の馬に騎乗した場合)
・馬の速度
走る馬の速度は時速50〜55km程度(瞬間速度は時速60kmくらい)。鍛えられた競走馬は時速60km程度(瞬間速度は70qくらい)。
注 走る馬の速度は時速60〜70kmといわれているが、これは空馬(人が騎乗していない)の話である。競走馬の走破タイムが時速60kmなのだから、普通の馬が人を乗せて走った場合はそれよりも速いはずがないので、時速50〜55km程度だろう。
時速50〜55kmで走ると言っても、馬は機械ではない。走れば疲れる。馬が一度に走り続けられる距離は(馬の個体能力によって変わるが)5〜10kmである。
あいだを取って、走り続けられる距離を7kmとする。分速850m×7=5950m。7分間で約6km、そして休憩10分。一日10時間の移動で211km。
あれ?
駆け足の馬車と変わらないや。休ませすぎか?
閑話休題
さて、采麟を乗せた馬車に話を戻そう。
国のほぼ中央部に位置している采国首都は揖寧から、馬車で東の高岫にある奉賀まで行く。
采麟の体調を考えて(失道していたので病んでいる)、速度は抑えて行軍したはずである。なおかつ、山あり谷ありの道であることを考慮すると、馬車が一日に移動できる距離は40kmぐらいなのではないかと推測する。40km×30日=1200km。
揖寧から1200km以上離れている東側の高岫が奉賀ということになる。
1200kmをどうやって地図に当てはめるか。
もはや 検証1 で、2500kmという物差しを持っているから、これも容易いのである。
しかも、巧国と才国は対照であることから、東西の距離・国土の面積に差はないはずだ。
2500kmの物差しを当てはめるにはもってこいの国なのである。
揖寧から1200kmの範囲 |
北部は奏に入ってしまうので却下。
ということで、南部に決定。奉賀の位置の検証終了。
かなり大雑把で強引で、なおかつ、呆けてしまいそうになる検証であることをお詫びいたします。
m(_ _)m
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かなり大雑把で強引で、
なおかつ、呆けてしまいそうになったうえに眩暈さえ覚えるような検証であったことを
お詫びいたします。
m(_ _)m
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他に距離が判別できそうな記述 |
慶国 |
拓峰〜(二日/馬車、半日/サンスイ)〜豊鶴
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戴国 |
鴻基〜(一昼夜/騎獣)〜戴を出るまで〜(一昼夜/騎獣)〜海を越えるまで〜(半月/騎獣?)〜柳国、恭国、範国を経て漣国
(「華胥の幽夢/冬栄」より)
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巧国 |
配浪〜(半日/馬車)〜拓丘
五曽〜(北に十日/徒歩)〜慶国との境ま
五曽〜(東に五日/徒歩)〜配浪
巧国の東端〜(三ヶ月/徒歩)〜西端まで
五曽〜(三日/徒歩)〜河西
河西〜(三日/徒歩)〜拓丘
鹿北〜(一月以上/徒歩)〜阿岸
鹿北〜(半日?/徒歩)〜郭洛
郭洛〜(十六日?/徒歩)〜午寮
阿岸〜(一昼夜/帆船)〜浮濠
浮濠〜(二泊三日/帆船)〜烏号(雁国)
巧国と慶国を隔てる高岫山〜(四泊)〜呉渡の港(慶国北部東岸中部)
巧国の東端〜(三ヶ月/徒歩)〜巧国の西端
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恭国 |
臨乾〜(半日/帆船)〜乾県
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芳国 |
芳国〜往復(三日/翼伝え)〜恭国
(「華胥の幽夢/乗月」より)
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以上のことを踏まえたうえで
文庫本の図を修正しつつ、本編の記述から推測できる地域を載せた地図がこれ↓
■十二国地図2
位置を推測できる地名を載せた地図(1000×1000、300KBくらい。別窓表示)
黒色字・・・文庫本の図に記されている地域名 |
青色線・・・河 |
紺色字・・・推測可能な地域名 |
こげ茶色線・・・道 |
灰色字・・・州名 |
白色線・・・航路 |
緑色字・・・国名 |
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さて、十二国記の地図で秀逸なものといえば、
十二国記オンライン・ゲーム(12OLG)の地図はかなり素敵な地図である。
山や河が描かれていて、上空写真のような出来映えだ。
ここでお見せできれば良いのだが、そうもいかないみたいだ。
(どうしても見たいという人はメールください)
しかたがないので、
さきの十二国地図1に、12OLG(特有)の街の名を載せたものも作ってみた。
■十二国地図3
12OLGの地名を載せた地図(1000×1000、300KBくらい。別窓表示)
黒色字・・・文庫本の図に記されている地域名 |
青色線・・・河 |
紺色字・・・推測可能な地域名 |
こげ茶色線・・・道 |
赤色字・・・OLGにでてくる地域名 |
白色線・・・航路 |
灰色字・・・州名 |
赤色線・・・OLG路 |
緑色字・・・国名 |
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文庫本の図との違いを述べておこう。
(ケチをつけているわけではない)
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十二国記オンラインゲームの地図と文庫本の図との相違点 |
・沿岸部分の形、国土の形が、かなり異なっている。
・島(小島)の形、数が違う。
・河西・拓丘(巧国)の位置が多少違う。 |
さて、次は本編に土地の名前は出てくるが、
どの辺りに位置しているのかが定かではない地域をあげてみよう。
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地理的表記が無さ過ぎて、推測できない地域 |
慶国 |
維龍
征州州都(月の影 影の海/下」p213)
征州ってどこさ?
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臥山
(陽子からみて)先々代の景王の母が住まう芥沾洞がある山(「風の万里 黎明の空/上」p73)
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支松
麦州産県、古くは支錦という街(「風の万里 黎明の空/下」p215)
・・・産県ってどの辺よ?
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紀州・征州
尚隆・六太・陽子・楽俊の会話のなかに
「紀州がさらに落ちた・・・。」「これで残ったのは北の麦州だけだ。舒栄は相変わらず征州にいる。・・・。」(「月の影 影の海/下」p185)
というのがある。
図に州名が記載されていないのは五州。
「北の麦州」という言い方をしているということは、麦州よりも北に位置している州(厳頭という街を擁している州)以外の南方の四州のどれかということなのだろう。
が、どれよ?
追記
マイコさんから
征州の位置について
騎獣の速度からもある程度予測は可能かと。
「雲海越し、眼下に地上を見て飛行すること半日で、陽子たちは征州維龍に到着した。」(月の影下巻P237L12)とあります。このとき陽子の騎獣は吉量。「吉量ならば、二日もあれば一国を横断する。」(風の万里上巻P263L1)とあるように、吉量が半日で進める距離はおよそ一国の四分の一強といったところ。雁から程近い州が征州である可能性が高い。しかもこのとき、関弓からの出陣では、慶国にたどり着くことさえ困難。雁の慶国側に面した州の州城から高岫山を越え、おなじく高岫山沿いの征州にある州城へ行軍したと考えると、地図上の距離との相違も無いのでは。
ちなみに州城の位置については、「首都州は必ず国の中央にあると思ってよい」」(風の万里上巻P245L9)「瑛州は首都堯天を中心に弓なりに曲がっている。」(同上P205L14)などの記述から、州の中央付近にあるのではないかと勝手に推測。十二国はやたら幾何学的な配置をしているし、国の中央に首都州、首都州の中心に首都、であるならば他州においても、中央付近に州都があってしかるべきでは…。と考えました。
という意見をいただきましたので、再度検討してみました。
征州、これがホント、やっかいな州なんですな。
吉量ならば、二日もあれば一国を横断する。(「風の万里 黎明の空/上」P263)
というのを念頭において
雲海越し、眼下に地上を見て飛行すること半日で、陽子たちは征州維龍に到着した。(「月の影 影の海/下」P237)
を読めば、このときの陽子は吉量に騎乗しているので、「二日で一国を横断できる吉量に乗って、半日で征州中央部に位置する(と思われる)維龍に到着した。」と読める。
な〜んだ、征州は吉量に乗って半日でいける場所。つまり、国土の四分の一の距離にある州ということじゃないか。
問題解決♪
ところが、そうは問屋がおろさない。
国土の四分の一の距離。どこが出発点か?
「月の影 影の海/下」 八章 p197の舞台は雁国関弓。そこからp234まで、移動している気配は無い。
p235で関弓を発ち、雲海の上を駆けている。
そして、問題のp237 雲海越し、眼下に地上を見て飛行すること半日で、陽子たちは征州維龍に到着した。 と、なる。
関弓が出発点なら慶国まで届かない。なにせ、十二国の首都は国土の中央にあるのだから。
では、どこが出発点か?
行間を読むしかなさそうだ。
下の図を見て欲しい。
p235で関弓を発ち、
【慶国により近い雁国の凌雲山から】半日で〜
ならば、Aの州以外ありえない。
ということで、
征州はAの州に決定!
しか〜し!
まだ、尚隆・六太・陽子・楽俊の
「紀州がさらに落ちた・・・。」「これで残ったのは北の麦州だけだ。舒栄は相変わらず征州にいる。・・・。」(「月の影 影の海/下」p185)
という会話がひっかっかる
なぜ、ひっかっかるのかというと、【北の麦州】という表現があるからである。
慶国の北の州といえば、最北のA州、その下の建州であろう。
【慶国の】という意味ならば、麦州は【西の麦州】になるだろう。
しかし、あえて【北の麦州】という言い方をしている理由は・・・。
【紀州の北にある】麦州 なのだろうか?
だとすれば、紀州はBかCということに?
征州はAで決定?
DとEの立場は?
でもね〜、なーんか納得いかないんだよね。
もしかして、文庫の地図の麦州の位置が間違ってるとか・・・・ない?
もうひとつ深読み というか自論
偽王舒栄の協力者は塙王でした。そういった状況で、巧国から離れた州に舒栄が行くことが考えにくい。そういった観点から征州は、首都のある瑛州とも巧国ともつながっているCが無難だと思う。
(ただ、この場合、半日で到着というのを捻じ曲げなきゃならないけど)
で、紀州はBということに私は治めたいのだが・・・
結論、特定不能です。
図に描かれた青線・オレンジ線についての説明。
この線が何かというと、「黄昏の岸 暁の空」p364に書かれている、李斎一行が慶国瑛州は尭天金波宮から雲海の上を蓬山まで向かったときの航路である。
ただ、この図には注釈が入る。
・李斎が騎乗していたのは天馬(飛燕)。
・李斎は片腕で手綱捌きがままならない状況であった。
なので、行軍速度は遅かったと思われる。
・慶国の凌雲山を転々と辿った。(休憩だろうか?)
なので、図の青線のような一直線の航路だった可能性はきわめて低い。青海の上空に凌雲山が無いことを考えると、オレンジ線のように陸地の上を飛行したほうが、凌雲山伝いに(休憩を取りながら)飛行して行けるのである。
そこで、尭天から金剛山まで(三日分の距離)のオレンジ線の長さに注目して欲しい。
尭天から関弓へと伸びる青直線よりは、かなり長い。
ということは、
天馬で尭天〜関弓は約二日の距離。
(吉量で一国を横断すると二日かかる。)
国土の中央に首都が位置しているのが十二国の世界。
ならば、
尭天〜関弓の距離は一国を横断した距離と等しい。
そう!
天馬と吉量の移動速度は、それほど違いがないのである。
だとすれば、
関弓から尭天まで吉量で行くには二日かかる。
ということを証明するための検証でした。
2008年1月 追記・改定
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雁国 |
洲吾
頑朴(漉水)下流の洲吾の街(「東の海神 西の滄海」p223)
漉水の下流にある街なのは判るが、どの辺りなんだろう?
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北囲
新易(漉水)上流、北囲。(「東の海神 西の滄海」p273)
新易側の漉水上流にある街なんだろうけど、どの辺りなんだ?
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擁州
擁州の果てまでは届かんだろう(「東の海神 西の滄海」p185)
関弓から離れている州なのだろうが、どの州だ?
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戴国 |
琳宇
文州は琳宇から届いた〜(「黄昏の岸 暁の天」p303)
文州のどの辺り?
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委州・呀嶺
戴国委州、驍宗が出た山間の里、呀嶺は〜(「黄昏の岸 暁の天」p315)
委州はどこ?
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紫泉
垂州首都(州都?)、紫泉(「黄昏の岸 暁の天」p60)
垂州のどの辺り?
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奏国 |
交州・件
交州の、件の港街で〜(「図南の翼」p378)
港街ってことは海沿いなんだろうけど、どこだろう?内海?外海?
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舜国 |
彰明
石は舜国に名高い彰明の産〜(「華胥の幽夢/乗月」p115)
どこ?
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その他 |
乾海 |
虚海の恭国と芳国に挟まれた場所をそう呼ぶこともある
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蓬莱
(倭) |
虚海の東の果てにある島
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崑崙
(漢) |
金剛山のどこかにある丘
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ここまでの
・十二国記の文庫本に載っている図
・十二国記本編に出てくる地域で場所の推測が可能なところ
・十二国記OLGにでてくる地域
の三つをくっつけた妄想地図も作ってみた。
■十二国地図4
素晴らしき妄想地図(1000×1000、300KBくらい。別窓表示)
黒色字・・・文庫本の図に記されている地域名 |
青色線・・・河 |
紺色字・・・推測可能な地域名 |
こげ茶色線・・・道 |
赤色字・・・OLGにでてくる地域名 |
白色線・・・航路 |
灰色字・・・州名 |
黄色線・・・妄想路 |
緑色字・・・国名 |
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こ・・・考察・・・・ね。
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