☆ 千住探索いいんかい? ☆ |
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丹下拳闘クラブを探せ! |
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泪橋のたもとにあるという丹下拳闘クラブ(丹下ジム)を探してみる |
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『あしたのジョー』という漫画がある。
原作:高森朝雄(梶原一騎)/作画:ちばてつや の有名な作品。
漫画雑誌「少年マガジン」に、1967年12月(1968年1月1日号)から連載され、1973年春(1973年5月13日号)に完結。
TVアニメとしても、第一部が1970年4月から1971年9月まで、第二部が1980年10月から1981年8月まで放映され、いずれも人気を博した。
映画化もされており、アニメ版だけではなく、実写版も作られている。
ボクシング漫画・アニメの名作であり、根強い人気は廃れることが無い。
この『あしたのジョー』、主人公である矢吹丈という風来坊の少年が繰り広げるボクシング物語で、舞台となっているのが泪橋のたもとにある丹下拳闘クラブというボクシングジムである。
泪橋は、山谷のドヤ街のそばにある川に架かっている橋。
山谷のドヤ街というと、東京都台東区日本堤あたりのことをいうが、最寄り駅は南千住。
一応、千住付近なので、ちょっくら探索してみようと思う。
地図で泪橋を探してみると・・・
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大きな地図で見る
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橋などございません。
交差点があるのみです。
しかし、この台東区と荒川区の境目に位置する泪橋交差点。だてに泪橋という名が付いているわけではありません。
昔は思川(おもいがわ)と呼ばれる用水路があったそうで、その川に架かっていた橋が泪橋と呼ばれていたそうなのです。
つまり、
思川は埋め立てられて道路が作られ明治通りになった。
川が無ければ橋の必要もありませんから、もちろん撤去。
泪橋という名は、交差点の名前として残った。
というわけです。
結論出ました!
丹下拳闘クラブは明治通りの下に埋もれている!
ちなみに、
【泪橋と思川の名前の由来】
ですが、
浅草側から泪橋を越えたところに小塚原刑場があり、刑場にひかれていく囚人やその近親者たちが、この橋を涙ながらに渡ったことからその名が付いた。
とか、
旅人が、江戸を去るとき、江戸にたどり着いたときに、さまざまな思いを馳せて涙したことからその名が付いた。
というような俗説・通説があるそうです。
と、あたかも結論が出て、この考察も終ったかに見えますけど・・・
ところがそうは問屋がおろさない。
というか、ドヤ街が許さない。
『あしたのジョー』の時代設定は1969年〜1973年ということらしいです。
コミック4巻P264に出てくる全日本新人王決定戦の看板に「昭和44年」と書かれていて、そこから年代が割り出せるそうです。
そこでちょっと古い地図で泪橋付近をを見てみました。
『goo地図』泪橋交差点周辺地図 
↑をクリックすると、gooの地図が開くので、マップ内左上部分にある[昭和38年]のボタンを押してみてください。昭和38年撮影の航空写真が出ます。
見てビックリ!
1963年(昭和38年)にはもう思川は無いのです。
ちなみに、[昭和22年]の航空写真を見ても思川はありません。
もちろん、泪橋も存在しておりません!
ということは!
1969年(昭和44年)〜1973年(昭和48年)に
丹下拳闘クラブは泪橋のたもとに存在し得ない!
思川
石神井用水(音無川)が三ノ輪で分岐し、東南に伸びる用水が思川と呼ばれた。
明治時代終わり頃から大正時代中期ごろまでの間に埋め立てられたようですが、いつ(下水道として)暗渠化したのかは、はっきりした年代を特定できませんでした。
「明治通り」の名称は昭和に入ってから付けられたようで、「埋め立てて、道になったのが明治時代だから明治通りと名づけられた」というワケではないようです。
ということで、丹下拳闘クラブは泪橋のたもとには存在していなかった。
〜検証修了〜
・・・と、単純に現実を漫画・アニメにぶつけて話を終らせるのはナンセンスなんで、もうちょっと話を続けてみましょう。
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どうしても丹下拳闘クラブを探し出せ! |
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泪橋が存在していた頃に丹下拳闘クラブを存在させるには、時代を逆行させて明治時代まで行かなければならないので、
山谷のドヤ街付近の橋のたもとにボクシングジムを作るとしたらどこになるのか!?
という考え方にシフトしようと思います。
もう一度、上で見た
『goo地図』泪橋交差点周辺地図 
↑をクリックすると、gooの地図が開くので、マップ内左上部分にある[昭和38年]のボタンを押してみてください。昭和38年撮影の航空写真が出ます。
昭和38年の泪橋周辺を見ると、思川は埋め立てられてはいるものの、南千住汐入地域と呼ばれていた水上運送と陸上運送が繋がる基地があり、ちょっとした運河は見られる。
しかし、その運河にかかる橋のたもとは、とても建物を建てられそうもない。
周辺をいくら探しても、橋のたもとに建築物を作れそうな場所は一箇所だけである。
その場所は、白鬚橋のたもと。
というわけで、
丹下拳闘クラブを実在のものとしたとき、
その場所は白鬚橋のたもと以外には考えられない!
という結論に至りました。
ただし、劇中では、泪橋のすぐむこう側にアーチ型の鉄橋が見える。
この周辺の鉄橋はというと、
上流から
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○千住大橋
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昭和2年(1927年)完成
新橋は昭和48年(1973年)完成 |
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構造 |
旧橋-鋼タイドアーチ橋
新橋-3径間連続鋼箱桁橋 |
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場所 |
隅田川に架かる。
国道4号(日光街道) |
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備考 |
隣り合って架かっている旧橋(下り)と新橋(上り)の二つを合わせて千住大橋。 |
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○千住小橋
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平成16年(2004年)完成 |
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構造 |
? |
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場所 |
千住大橋の下。 |
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備考 |
歩行者専用の橋。
夜間(17:00〜9:00だったかな?)は通行禁止。 |
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○千住汐入大橋
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平成18年(2006年)完成 |
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構造 |
2径間連続鋼床鈑箱桁橋 |
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場所 |
隅田川に架かる。
都道314号線 |
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備考 |
近くに堀切橋(荒川)がある。 |
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○綾瀬橋
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昭和33年(1958年)完成 |
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構造 |
? |
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場所 |
隅田川と荒川をつなぐ水路に架かる。
都道461号線(墨提通り) |
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備考 |
真上を首都高速6号向島線が通る。 |
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○水神大橋
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平成8年(1996年)完成 |
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構造 |
3径間連続ニールセンローゼ桁橋 |
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場所 |
隅田川に架かる。
都道461号線 |
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備考 |
近くにに隅田川神社(水神宮)がある。 |
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○瑞光橋
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?年完成 |
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構造 |
? |
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場所 |
隅田川沿いの瑞光橋公園の入江に架かる。
補助109号線 |
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備考 |
隣接して瑞光橋公園がある。 |
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○白鬚橋
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昭和6年(1931年)完成 |
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構造 |
下路式ブレースドリブドタイドアーチ橋 |
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場所 |
隅田川に架かる。
都道306号線(明治通り) |
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備考 |
近くに白鬚神社がある。 |
と、いくつかあって、
『あしたのジョー』の時代設定である1969年〜1973年に存在していたアーチ型鉄橋は
千住大橋
綾瀬橋
白鬚橋
の三つだ。
この三つのうちのどれかが見える位置に架かる木造橋が『あしたのジョー』に出てくる泪橋になるわけだが、まぁ無難に考えると
白鬚橋の隣あたりですかね?
もしかしたら、木造だった頃の白鬚橋がモデルなのかもしれないですね。
白鬚橋は、大正3年(1914年)に周辺住民が資金を出し合って架けた木造橋が起源で、大正14年(1925年)に東京府が買い取り、昭和6年(1931年)にアーチ橋になった橋です。
周辺住民が架けた橋というところに驚かされますが、このへんに感銘を受けて白鬚橋の隣に木造の橋を置いて、そのたもとに丹下拳闘クラブを据えたのかもしれません。
※あくまでも推測ですよ。
というわけで、
丹下拳闘クラブを実在のものとしたとき、
その場所は、白鬚橋の隣に木造橋を置き、
そのたもとに丹下拳闘クラブがあったとするのが
一番しっくりいく考え方である!
ということになりました。
「明治通りに思川を復活させて泪橋を架ける。そのたもとに丹下拳闘クラブを置く」
ってのも考えたんですけど、
それだと、アーチ型の鉄橋も新たに造らなければいけなくなるので、造成工事が物凄い大変なことになる。
なので、取り下げました・。
ちなみに、
橋のたもとにボクシングジムを作れるか?
と問われれば・・・
それは無理。
まず許可が下りないでしょう。
不法占拠して無理やり作ったとしても、強制退去させられること間違いないです。
増水すれば流されちゃいそうだし。
つまり、丹下拳闘クラブをむりやり実在させるとすれば、
行政と喧嘩しながら、増水の危険にさらられながら実在させることになる!
ワケです。
犯罪者になりながら、増水の危険にもさらされて・・・
まさにハングリーかもしれないけど・・・試合に望める環境ではないですねw
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2009年11月 記
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参考資料 |
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>>泪橋周辺探索 『あしたのジョー』ツアー へ
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