と、いった感じで、
ピンク隊員探しは終ったと思われたのだが、
2006年10月27日に、マイコさんから掲示板に書き込みがありました。
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ピンク隊員について
これは…。廉麟が氾麟から蠱蛻衫をかりたから、少年にとって好ましい(テレビのヒーロー者のお姉さん)姿に見えただけでは。蓬莱では胎果でないものは姿を保てないので、人と会話するために蠱蛻衫が必要だった。「そのへんの人間を捕まえて、六年前に何か変異がなかったか訊いてみるのも已むなしだと思ってる。」(黄昏の岸P333L17)
(つまんないこと云ってすみません。次で挽回)
2006/10/27(金) マイコ
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たしかにマイコさんのおっしゃるとおりで、蠱蛻衫を使っていたのだから、『少年が見た姿』であって、「廉燐の真の姿かたち」ではありません。
というわけで、タイトルを
『廉燐似のピンク隊員を捜せ!』
から
『廉燐を見た少年が少し似てると感じたピンク隊員を捜せ!』
に変更しました。
そのほかに、マイコさんは「泰麒と陽子の生年」についても解説してくれました。
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泰麒の年齢(生年)について
・泰麒が一年ダブっていて高2だったことから本来は高3。
・常世で漣に行ったとき「今の泰麒はやっと十一になろうとしている子供にすぎない。」(華胥の幽夢P37L17)から、遅生まれの17歳。
・両親が亡くなって親戚連中が土地の値上がりを気にしていたことから1991年以前。(株の最高値は1989年、土地は1991年だったような気がする)
◎つまり、遅くとも1974年生まれ。
陽子の生年について ・陽子は昭和天皇崩御1989年1月以降の?年2月に流され、そのとき高1で15か16歳。
・陽子は壁落人が流された昭和44年2月(1969)以降の生まれ。
「……私が生まれる前のことです」(月の影下巻P121L5)の台詞は微妙な表現。昭和44年生まれなら、「……私の生まれた年です」と陽子は相槌を打ったのでは。だからもう少し絞って1970年以降、と考える。
・陽子の髪が赤っぽくて教師から注意されていたので、時代背景として1990年代以降は考えがたい。 ◎つまり陽子の生年は1970年以降1974年3月以前。
・陽子が常世に渡り8ヶ月で天勅を受け登極。それから丸二年後の赤楽3年に泰麒が帰還。
・泰麒帰還(17)の2年8ヶ月前には陽子は高1の15か16だったことから神籍にはいっていなければ陽子は大学1年の18か19。 ◎二人の学年の違いは1年。
つーまーりー、 陽子…1970年から1973年3月生まれ 泰麒…1971年から1974年3月生まれ と推察されます。
二人が現在も無事なら陽子(33〜35)、泰麒(32〜34)。以上。
最後まで読んでいただけたなら感謝します。長々と失礼しました。
2006/10/27(金) マイコ
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陽子と泰麒の生年がここまで絞られたことによって、各作品の年代的舞台背景も絞られてくる。
「月の影 影の海」は、1987年〜1990年(昭和62年〜平成2年)
「魔性の子」は、1989年〜1992年(昭和64年/平成元年〜平成4年)
のお話ということになる。
ということは、
1989年(昭和64年/平成元年)から1992年(平成4年)までの4年間のうちに、小学六年生になる年代の者が見た可能性のある特撮番組を探れば、廉燐を見た少年が少し似ていると感じたピンク隊員が特定できるのである。
▲舞台候補の年代をもっと絞ったところで・・・戻る
◆小学六年生が見ていた特撮番組
見たTV番組の記憶があるのは何歳ごろからだろうか? 彼は小学六年生なので、もしかしたら3歳ごろの記憶もあるかもしれない。5〜8年前の記憶でも鮮明に思い出せる可能性もある。
となれば、1989年(昭和64年)から遡ること8年の1981年(昭和56年)から1992年(平成4年)までの11年間に放映された特撮番組を調べればよいのだ!
▲絞れた範囲がこの水平線間
なんとなんと、9人に絞られましたね。
▲そして、行き着く先は!
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2008年7/23 パラオの別荘にて
掲示板に書き込んでくれたマイコさんへ
長い間、ほったらかしにしていてすみませんでした。
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