オススメな音楽?

スネークマン・ショー / Snakeman Show
 

スネークマン・ショーは、桑原茂一、小林克也、伊武雅刀によるユニット。
YMOのアルバム「増殖/X∞Multiplies」でコラボしたことによって有名になり、大ブームを起こした。

1975年 昭和50年 桑原がメンズビギのファッションショーの選曲を任され、映画「アメリカン・グラフィティ」でオールデイズの曲間を埋めるDJウルフマン・ジャックのような演出をしたいと思い、知り合いだった小林に依頼。
小林が巳年生まれだったことから「スネークマン・ジョーンズ」というキャラが作られる。
メンズビギのファッションショーでの演出が高評価され、すぐにエドウィンから店内BGMの作成依頼が来る。
30分形式のものを作成し、それは全国のエドウィン800店舗で店内BGMとして流された。ただし、「スネークマン・ジョーンズ!」という部分の「ジョーンズ」がエドウィンのライバル・メーカー「ビッグジョン」を連想させるとして、早い段階でカットされることになった。
エドウィンの店内BGMは好評であったが、楽曲の使用料に関しての手間と金額が問題になり、二人は「ラジオ番組として制作(すれば手間も使用料もラジオ局持ちになる)」ということを思いつき、エドウィンに打診するとことがうまく運んだ。
1976年 昭和51年 4月からラジオ大阪毎週月〜金曜日の15分番組「エドウィン・ロックン・ロール・ショー」として放送開始。
次第に「スネークマン・ショー」は関西で話題になり、東海ラジオ、ラジオ関東でも放送するようになる。
「スネークマン」は英語しか話さない設定だったので、日本語の担当が必要になり、小林と共演経験のあった伊武(すでにアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のデスラー総統役声優として有名だった)を誘ってみたところ、伊武は承諾し加入することになった。
伊武が加入したことによって、曲間の「スネークマンのDJ」はショートコントへと発展していく。さらに、咲坂守(小林)と畠山桃内(伊武)といったキャラも生まれた。
1978年 昭和53年 3月、エドウィンの「スネークマン・ショー」担当者が退社することを機に、エドウィンがスポンサーを降りることが決まり、番組終了となった。
「スネークマン・ショー」を気に入っていた業界人の一人、電通クリエーティブ局の杉山恒太郎が小林から番組終了の話を聞いて、自分が広告担当だった小学館「GORO」がスポンサーの番組の改編期に仲介し「スネークマン・ショー」の移籍が決まった。

4月3日TBSラジオ「生島ヒロシの夜はともだち おーい!きいてるかい」内のコーナー「それいけスネークマン」(22:45〜23:00の15分間)として放送される。
1979年
 〜
1980年
昭和54年
  〜
昭和55年
YMOからミニアルバムでのコラボ依頼があり、1980年4月23日に武道館で行われる小学館「写楽」創刊イベント「写楽祭」への出演もオファーされた。

4月23日、雑誌「写楽」創刊記念イベント「イエロー・マジック・サーカス どうしようもなく 世界一 写楽 IN 武道館」「写楽(しゃがく)祭」
当日の武道館はほぼYMO目当ての客ばかりだった。
ちなみにこの「写楽祭」、「写楽」「小学館」「富士フイルム(フジカセット)」の関係者とそのつながりなどで招待されたゲスト、と、はがき応募で当選した一般の方々といった無料招待で行われたイベントである。なので、出演者側(とくにYMOとスネークマン・ショー周辺の人たち)はあくまでもお祭りの意識が強かったらしい。

いざイベントが始まるとギャグやトークばかり、、YMOはアコースティックの演奏(「中国女」のアコースティック演奏もあるにはあった)のみ。
「以上でYMOの出番は終了します」と(冗談で)アナウンスしてしまったことで、客の中にイライラしだす者が出てくる。
出演者全員で「禁じられた遊び(の原曲といわれるもの?)」をやるまえにメンバー紹介のアナウンスをすると、「まだやるの」などのざわめきや「YMO!」のコールが始まる。
「みなさん静かに聴いてください」と(たぶん)高橋幸宏が言うと、客からは「やだ」「なめんじゃねーぞー」の声。
「そうしないと、後でちゃんと演奏してあげないからね」と(たぶん)高橋幸宏が続けると、罵声と歓声が入り乱れる。
シュールな内容で「禁じられた遊び(の原曲といわれるもの?)」をやったところで客が騒ぎ始め、「つまんねーぞ」などの罵声が出始める。
それに対して、女装した坂本龍一が客へ向けて「うるせーぞこの野郎ー!」「ちょっと出てこいよこの野郎ー!」「ぶっ飛ばすぞこの野郎!」」「来いよ馬鹿野郎!」怒鳴る。(ちなみに、教授はスネークマン・ショーがYMOと関わることについて、あまり説明を受けてなくて「なんでこの人たちとコラボしてんだろう」的に思っていたそうだ。細野、高橋の二人に対しても2対1の疎外感っぽいものを感じていて、「なんかイライラする」という状態だったらしい)
高橋幸宏がなだめる。「黙って聴きなさい。後でちゃんとやるんだから」

騒動になったことで、「写楽創刊セレモニー」が早回しに進められ、スポンサー・サイドも怒らせてしまう形となってしまった。関係者のお偉いさんや写真家の篠山紀信などは早々に帰ってしまう始末。

「あともう30分しかねえぞ」と客がぼそぼそつぶやく声が聞こえる中、YMOが演奏開始。すると、客席の暴動(?)は収まった。

ライディーン
ビハインド・ザ・マスク
ラジオ・ジャンク
ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
デイ・トリッパー
ジ・エンド・オブ・エイジア
東風
コズミック・サーフィン
ザ・コア・オブ・エデン

すったもんだがあってこそなのか、伝説のライブとなった。タイトルをつけるなら「怒」。いろんな意味で演奏キレキレ。

(「ザ・コア・オブ・エデン」〜高橋ユキヒロのソロアルバム「音楽殺人」の1曲だが、発売前。発売日は」1980年6月21日〜このあたりを入れてくるのが素晴らしい)

この一件は後に「写楽祭事件」とよばれることになる。
スポンサーのその怒りの矛先は(YMOには向けられずに)スネークマン・ショーに向けられ、TBSラジオ番組(たぶん、スポンサーは小学館繋がりの「GORO」)が6月いっぱいで終了(消滅)ということになってしまう。

6月5日 YMO「増殖/X∞Multiplies」発売。

 1.JINGLE "YMO"(ジングルYMO)
     作曲:YMO 
  小林克也のカッコイイDJが映える。  
 2.Nice Age(ナイス・エイジ)
     作詞:クリス・モスデル/作曲:高橋ユキヒロ、坂本龍一
  曲中で
「ニュース速報〜22番は〜今日で1週間経ってしまったんですけど〜でももうそこにはいなくなって〜彼は花のように姿を現わします〜He's Comin' up like a flower … He's Comin' up like a flower … He's Comin' up like a flower …」
と語っていのは福井ミカ。そう、サディスティック・ミカ・バンドのミカである。
そして、「He's Comin' up like a flower …」というのはポール・マッカトニーの「Coming up」という曲のサビに出てくる歌詞。
なぜ?
と思ってしまう「ニュース速報」だが、これにはワケがある。
ポール・マッカートニーは、当時結成していたバンド、ウイングスの日本公演のために来日することになっていて、その合間にYMOとのセッションが予定されていた。
1980年1月16日にポールは来日。
すると、なんとっ!成田空港の税関で手荷物の中から219g(当時の末端価格70万円ほど)の大麻が発見され、大麻取締法違反と関税法違反で東京税関成田支署に現行犯逮捕されてしまう。
ポールの身柄は、東京中目黒の関東信越地区麻薬取締官事務所に移送される。簡単な取り調べ後に、新橋の警視庁留置施設に収容される。
以後、取り調べのために中目黒へ移送される以外は、新橋の留置所で監禁されることになる。
勾留中のポールは「22番」と呼ばれ独居房へ収容された。
そう、「22番」というのはポールの勾留中での番号なのだ。
9日間の勾留期間後の1月25日、ポールは強制送還となるのだが、帰国したポールは「ニジュウニバン」「テンコ」「ミソシル」といった日本語を友人に得意げに披露していたという。
勾留中、「体操の時間」というものがあり、そのときは運動場で喫煙することが許されていたらしい。この喫煙タイム中は他の囚人たちとの会話が許されていて、ポールもそれを楽しみにしていたという。
この「体操の時間」に過激派メンバーの大学生が通訳を務め、「背中に大きな入れ墨があるヤクザ」とも交流するようになり、出所前日の夜には、彼のリクエストに応えて「イエスタデイ」「上を向いて歩こう」などをアカペラで披露したという。囚人たちは拍手喝さい、看守も見て見ぬふり(聴いて聴かぬふり?)をしたという。
ちなみに、看守の警官。「背中に大きな入れ墨があるヤクザ」を通じてポールのサインをもらっていたという。
まるで、「スネークマン・ショー」の「はい、菊池です」のような話である。
ポールのサインをもらった看守の警官さんだが、後にそのことが発覚し地方に飛ばされたとか。

「背中に大きな入れ墨あるヤクザ」さんは瀧島祐介の名で本を出しております。
 「獄中で聴いたイエスタデイ」著:瀧島祐一

ポール・マッカートニーからYMOへとつながる因果関係
1968年  ザ・ビートルズ「The Beatles」(ホワイト・アルバム)
 アシスタント・プロデューサー:クリス・トーマス
1974年 サディスティック・ミカ・バンド「黒船」
 プロデューサー:クリス・トーマス
1974年 ミカとクリス・トーマスの不倫が原因で加藤和彦と離婚。
サディステック・ミカ・バンドも解散となり、ミカはロンドンに在住することにして、後にクリス・トーマスと再婚する。
1978年 高橋ユキヒロ、細野晴臣、坂本龍一でYMO結成。
1979年 ウイングス「Back To The Egg」
 プロデューサー:クリス・トーマス
1980年
 1月
ウイングス来日。
クリスとミカも同行。
ポール逮捕。日本でのポールの家族の世話をミカがすることになる。
 5月 ポール・マッカートニー「Coming Up」作詞・作曲:ポールマッカートニー
シングル・レコード日本で発売。
 6月 YMO「増殖」(「Nice Age」収録)発売。
というわけで、ザ・ビートルズ(ポール・マッカートニー)→クリス・トーマス→サディスティック・ミカ・バンド(ミカ、高橋幸宏)→YMO(高橋幸宏)という因果な繋がりが「Nice Age」の「ニュース速報」を発信させたのである。

「僕はかわいそうじゃない。」ワタナベスグル氏のブログ記事を
参考にさせていただきました。
 

んでもって、ポールの勾留中、残された家族のお世話をしたのが、ポール御一行様に同行していた日本にも詳しいミカ。
全ての予定が狂ってしまった中、1月23日にポール夫人であるリンダを伴ってクリスと訪れたのが「増殖」制作中のYMOがいるスタジオ。
そして、細野さんから「ミカになんかしゃべって貰おうよ」、ユキヒロから「ミカもなんかやっていってよ」という言葉が出たことから、ミカが「Nice Age」にゲスト参加することになった。
(「ナイス・エイジ」は1月20日にレコーディングされていた)。
リンダ、クリス、ミカで相談し、「ポールのことをメッセージにしよう」ということになる。
ミカがポールの次のシングルの内容を知っていて、リンダからも「He's Comin' up like a flower …」というのを入れて欲しいと希望されたため、こういう内容になったらしい。
つまり

「22番(ポール・マッカートニー)は、(勾留されてから)今日で1週間経ってしまったんですけど、でももうそこにはいなくなって(釈放されて)彼(ポール・マッカートニー)は花のように(「カミング・アップ」という新曲をひっさげて、ファンのみんなの前に)姿を現わします〜He's Comin' up like a flower …〜」

ということ。(だと思う)

ポールの2枚目のソロアルバム「マッカートニーU」の発売はすでに決まっていて、ある程度楽曲も作られていた。その中の「カミングアップ」は先行シングルとなっていたので、リンダがその情報を提供したことにより「He's Comin' up like a flower …」というセリフが使われたのだ。

この辺の話は、
細野晴臣ファンサイト(と言っていいのでしょうか?)
hosono archaeology」chronology
細野晴臣自身の発言と関係者の証言でみる年代記
で詳しく公開されているので参考にさせていただきました。
 
 3.「KDD」
「KDD事件」をネタにしているスレスレのコント。
 4.Tighten Up(タイトゥン・アップ)
     作詞・作曲:ビリー・バティアー、アーチー・ベル
「アーチー・ベル&ザ・ドレルズ」のカバー。小林克也と伊武雅刀も参加している。
アメリカのテレビ番組で演奏したところ、高評価だったらしい。(おそらくというか確実にテープ演奏/演奏したふり)それがアメリカでのシングル発売につながったのかは不明。
この曲は大好きでした。シングルも買っちゃった。とにかく小林克也もYMOの演奏もカッコイイ。まちがいなく元祖よりカッコイイ。
 5.「ミスター大平」
ただ単に英語が解らないオオヒラさんが外人に英語で馬鹿にされるコントであって、日本の首相の大平さんとは無関係だと思いたい。
 6.Here We Go Again 〜 Tighten Up(ヒァ・ウィ・ゴー・アゲイン〜タイトゥン・アップ)
     作詞・作曲:ビリー・バティアー、アーチー・ベル
 7.「ここは警察じゃないよ」
ある線を越えてしまえば恐いものなど無くなる。ということ。
 8.Citizens of Science(シチズンズ・オブ・サイエンス)
     作詞:クリス・モスデル/作曲:坂本龍一
作詞のクリス・モスデルも曲中の語り部分で参加。
 9.「林家万平」
中国でも落語は大人気。
 10.Multiplies(マルティプライズ)
     作曲:エルマー・バーンスタイン、YMO
冒頭部分で「荒野の七人」のメロディーを使ったことで横やりが入れられ、クレジットの作曲者に「エルマー・バーンスタイン」の名前が入れられるようになった。楽曲発表当初、作曲者はYMOのみであった。
「ファイアー・クラッカー」の作曲者マーティン・デニーが「突然、印税として大金が振り込まれてくるようになって驚いた」的なことを語っていたらしいので、エルマー・バースタインもさぞかし大儲けなさったことでしょう。
 11.「若い山彦」
ロックについて激論を交わす音楽評論家。「良い物もある。悪い物もある」同じセリフに聞こえる中にも、きっと複雑で難解な考察の違いというものが散りばめられているのだろう。
私には違いが判らんけど。
 12.The End of Asia(ジ・エンド・オブ・エイジア)
     作曲:坂本龍一
坂本曰く「街道もの」バージョン。
元々は坂本龍一のソロアルバム「千のナイフ」の収録曲。
のんびりとした台詞は伊武雅刀。さすがいぶし銀。
このバージョンのフル演奏ものはないのだろうか・・・。

同月末でラジオ番組終了となってしまった「スネークマン・ショー」だったが、このアルバムで一気により多くの知名度を得ることになる。
アルバムがオリコンチャート初登場一位(当初は枚数限定販売の予定だったが、予約数が多かったため通常販売に切り替えた。は社会現象になり始めていた)になり、広い世代がスネークマン・ショーのコントの真似をするようになるなどしたために、アルファレコードから単独アルバムの話が持ち上がる。
1981年 昭和56年 2月21日、細野晴臣をプロデューサー迎えて制作されたアルバム「SNAKEMAN SHOW」(通称:急いで口で吸え)
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 1.「盗聴エディ P-1」
  ヤバイパーティーをしている仲間に電話で危険を知らせようとするポール。しかし、電話を受けたヤツが飛んじゃっているため、なかなか伝わらずにヤキモキしつつ笑いを誘う。  
 2.磁性紀〜開け心 / YMO
フジカセットのCM曲ですごく気になる曲だった。fullをいつ聴けるのかヤキモキしてたら、このアルバムに入ってた。
 3.「盗聴エディ P-2」
P-1の続き。
 4.レモンティー / シーナ&ザ・ロケット
「なぜシーナ&ロケット?」と当時は思った。YMOとの繋がりがよくわからんかった。
後年、いろんな証言を見聞きできるようになり、鮎川誠とYMOがどう繋がったのか、YMOの曲「デイ・トリッパー」などで鮎川誠がギターを弾いていたことなど(当時は参加ミュージシャンは気にしてなかった)知ると「そうなのか」と合点がいくのであった。
「鮎川誠=ポップスのバンド(シーナ&ロケット)に在籍しているロック・ギタリス」という風に記憶されていて、まさか細野さんが「シーナ&ロケット」のプロデュースをしていたなんて想像もしなかった。
しかも、「シーナ&ロケット」の曲は、シングル曲ぐらいしか知らない(今でも)というぐらい興味がないんです。(「シーナ&ロケット」関係者&ファンの皆様ごめんなさい)
 5.「はい、菊池です〜7人の刑事」
ポール・マッカートニー取り調べ係の菊池の元へ警察関係者からサイン依頼の連絡が次々と入る。菊池の態度が依頼を受ける度に段々と大きくなっていくさまが笑える。
 6.「盗聴エディ P−3」
P−2の続きだが、電話を受けた相手が今度はなんと犬!?何を言っても「ワンッ」としか答えないのだが・・・。
 7.オール・スルー・ザ・ナイト / ザ・ロカッツ
 8.「ストップ・ザ・ニューウェイヴ」 / 伊武雅刀とTHE SPOILとお友だち
おそらく「アラジン」あたりを脳裏に置いて作ったのであろうミュージシャン・コント。
と、当時は思っていたのだが、
「アラジン」のデビュー・シングル「完全無欠のロックンローラー」は1981年11月14日。
なおかつ、アラジンのほうがスネークマン・ショーを意識して作ったということなので、これまた思い違いであった。
 9.ジミー・マック / サンディー
当時はサンディーさんのこと何にも知らなくて(今のようにインターネットもなければ、ウィキペディアもない時代は、情報を得ることが本当に大変だったのだよ)、まさか「ルパン三世」(TV第2シリーズ)のエンディング曲(1978年10月2日放送分から)「ラブ・スコール」(不二子ちゃんの曲)をサンドラ・ホーン名義で歌っていたり、YMO(やいろんなアーティスト)の楽曲にコーラスなどで参加している方だったなんて・・・。
しかも、そのほとんどが私が好きな楽曲だったりして。
でも、なぜか彼女のソロ&彼女主体のバンド(&サンセッツとか)の曲はいまいち好きになれないのだよ。
我ながら不思議・・・。
 10.「急いで口で吸え」
戦場で負傷した時の心得を教える隊長。果たして、その教えが活かされたかどうかは疑問。
 11.黄金のクラップヘッズ / ザ・クラップ・ヘッズ
 12.「シンナーに気をつけろ」
現場で親方が弟子のカメに作業場の注意を教えるのだが・・・。教えていたのだが・・・。
 13.メケ・メケ / DOCTOR KESSELER
美輪明宏(丸山明宏)の曲として有名。この曲の日本語詞も丸山明宏作の物。
知ってた?「ドクター・ケスラー」って加藤和彦なんだってよ。加藤和彦の歌声を知らない私はずーーーーーーーーーーーっと、知らなかったよ。(というか、知っても記憶しなかっただけなのかもしれないけど)
 14.「正義と真実」
宣伝カーの桑原茂一とチリ紙交換カーのオジサンによる静かでのどかだった街での出来事。
 15.コールド・ソング / クラウス・ノミ
ドイツ出身のパフォーマーだが、1979年頃からデヴィッド・ボゥイのバックコーラスをして有名になる。
1983年8月6日にエイズ(AIDS)でその39年の生涯の幕を下ろすが、エイズで死亡した最初の有名人なのだそうだ。
 16.「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」 / You An’ Me Orgasmus Orchestra
二人のアナウンサーが互いの力量をひけらかす一曲。
 17.「これなんですか」
薬局での客と店員とのやり取り。当時はありがちと言えばそうなのかもしれないし、あってもおかしくないよな〜的な感じなのかもしれない。
 18.「ごきげんいかが AGAIN」 / スネークマン・ショー

とアルバム収録曲の「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」のシングル・レコードを発売。
関係者が思っていた以上(想像を超えるほど)の大ヒットとなった。

10月21日、二匹目のドジョウを狙った。鉄を熱いうちに打った。「写楽祭」の影響でラジオ番組が消滅したことに対して負い目を感じた誰かが裏から手をまわした。といった気がしないでもない風にセカンドアルバム「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」を発売。

 1.「愛の出発」
  発射!何の発射なのかは聴く側の感性なんだと思う。声の出演:戸川純、東啓子、島津冴子、鵜飼るみ子、井上瑤などなど。  
 2.「愛のチャンピオン号」
火星に向かって飛行中のチャンピオン号と宇宙ステーションと地球本部の通信内容。離れてる分だけ温度差はあるよね。ドキュメントと言っても過言ではないコント。元々は「愛のエドウィン号」だった。
 3.THE ULTIMATE IN FUN / リップ・リグ&パニック
 4.「愛の野球場」
テレビの野球中継となぜかリンクするカップルの営み。
 5.I WILL CALL YOU  (AND ANOTHER FAMOUS LAST WORDS) / メロン
 6.「愛のホテル」 〜エーゲ海の真珠
ホテルニュー越谷のCM全集。ゲスト出演:戸川純
 7.BUNGA DAHLIA / ス・ウディア
 8.どんぐりころころ / 歌:ゲルニカじゅん(戸川純)
童謡を大人の路線へ無理やり持って行こうとすると・・・こうなるのか?
 9.PERSIAN LOVE / ホルガー・シューカイ
 10.WISHING YOU’RE HERE  (貴方がここに居てくれたなら) / THE SPOIL
 11.「愛の嵐」(バラ肉のタンゴ)
タンゴを踊る男女のせめぎあい。
 12.今日、恋が / 高橋幸宏
 13.「愛の匂い」 〜ジムノペティ / 演奏:坂本龍一
匂いをかがせる女、嫌いだと言いつつ嗅ぐ男。似たようなことを誰でもやってるものよ。ちなみに女性の声は鵜飼るみ子。ガンダムでフラウ・ボゥの声をやっている人です。そう考えるとかなりいいでしょ?
 14.HONEY DEW / メロン
 15.「愛の戦場」 〜ブタペストの心 / 日色純一
戦場を咲坂アナがレポート。虚実混ぜこんで、割と事実もこんなだよなって思ってしまう。
 16.GAM BANG / GAMELAN

これも大ヒットとなった。しかし、スネークマン・ショーの3人はこれを「最後のアルバム」と申し合わせていたそうだ。いろいろ紆余曲折もあったけど、おつりがくるぐらいの金と名声が手に入ったから、次のステージに進みたいと思ってもおかしくないわな。

スネークマン・ショーの人気は絶頂期を迎えたが、意見の相違で小林が脱退する。
1982年 昭和57年 2月21日、「海賊版」をカセットテープのみで販売。コンドームを真似て作られたこのカセットは、またも大ヒット。
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 1.スネークマンショー・イントロダクション 〜ウィリアムテル序曲(挿入曲)
 2.YMOメドレー
  TECHNOPOLIS 〜 RYDEEN〜TONG POO 〜 NICE AGE 〜 BEHIND THE MASK 〜 INSOMNIA 〜MULTIPLIE〜CITIZENS OF SCIENCE   〜MULTIPLIES〜SOLID STATE SURVIVOR   〜ABSOLUTE EGO DANCE 〜 中国女 〜 FIRECRACKER  
 3.「床屋編&ロッキー」
床屋のコントとボクシング中継のコント。二度楽しめる。
 4.I WILL CALL YOU  〜AND ANOTHER FAMOUS LAST WORDS / メロン
 5.「ラジオ・ショッピング」〜エーゲ海の真珠〜ブタペストの心
ラジオ・ショッピング
 6.「しもやけ(ラジオ相談室)」
心配性な相談者。
 7.「ケンブリッジ・イングリッシュ(ほないってみまひょか)」
漫才。
 8.「いつもの演芸」
相撲界から演芸会に転身した新人漫才コンビ、青空玉の上、玉の下の漫才。耳の穴かっぽじって聞け!
 9.「ご覧ください(私の唯一のお見せできるもの)」
女性の声は井上瑤。ガンダムのセイラ・マスの中の人だと考えると・・・それはもうお宝としか言えない。
 10.「ここにもいない」
よくわからないけど、何かを見たようだ。
 11.「痰壺小僧」
ただただ汚い。
 12.「咲坂と桃内のはんたまきれた(ぬんこまれた)」
なんのこっちゃ
 13.「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ?」
日本人だもの、こうありたい。
 14.「国際越谷カントリークラブ、マスターズオープン(ご覧の通り編」
やっぱプロはうまいなー
 15.「ラジオのボリューム調整」
ボリュームを5に合わせてください。
 16.「未知との遭遇」
何と遭遇したのやら
 17.「サチオさんとミチコさん」
ジョン&ヨーコにインスパイアされたんだろうな。
 18.「ミスター・イブのレポート(パンダ編)」
珍しいから、愛くるしいからって・・・相手は野獣なのよ。ってことすかね?
 19.「ジャンキー大山ショー」
業界的な・・・。でもないか?
 20.ロックンロール・メドレー / マイティー・ヌンコマレタ・バンド
ROUND AROUND THE CLOCK 〜 HOUND DOG 〜 LUCILLE 〜 バルコニー座って 〜 ROCK AND ROLL MUSIC
中学生のノリノリなのね。
 21.「咲坂と桃内の今夜はごちそうさま」
これなんですか?この二人違う次元のグルメだな。
 22.「時報、ただいまより」
ピッピッピッポォーン
 23.「火事です」
ラジオで結構問題になったそうです。
 24.「早く寝ましょうよ」
それはそれでいいと思います。
 25.「東京駅はどこですか?」
どこなんでしょう?
 
1983年 昭和58年 二人になった形態のスネークマン・ショーとして「ピテカントロプスの逆襲」発売。
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 1.ジャンキー大山ショー〜イントロダクション
  考えかた次第では、それなりに社会に警告を出しているような気がしなくもない。  
 2.DO THE PITHECAN HAPPY AGE / メロン
 3.「男と女のラップ」
実の熱いラップ。
 4.PURE INOCENCE / メロン
 5.「コント・メドレー」
ラジオ時代のコントのメドレー。
 6.TRANCE DANCE INTERNATIONAL / メロン
 7.ピテカン音頭 / メロン
 8.LA POUPEE AUTOMATE / WATER MELON
 9.TUNE FROM RANGOON /  WATER MELON
 10.MISIRLOU / WATER MELON
 11.「ワールド喉自慢コンテスト」
ワールドだもの。
 12.FLY ME TO THE MOON / WATER MELON
 13.EMERALD SEA / WATER MELON
 14.「天気概況」
刻々と世界は変化していく。だって地球は回っているのだから。
 15.AHMEFURI / WATER MELON
 16.「未知との挿入」(ミスター・イヴの探検シリーズ)
男は本能で探検に出かける。だって、そこにジャングルがあるから。
 17.JUNGLE FLOWER WATER / MELON

その後、スネークマン・ショーは自然消滅となる。
んでもって、時を経て、レコードやカセットの音源がCD化したり、3人各自でそれっぽいユニットを組んでみたり、二人集まったり、三人集まったりなんかもしている。
特に2013年に夢の島公園陸上競技場で開催された「ワールド・ハピネス」では、小林と伊武がスネークマン・ショーとして出演し、「シンナーに気をつけろ!」「咲坂と桃内の今夜はごちそうさま」「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」を披露した。

桑原茂一 1950年(昭和25年)12月9日生まれ、岡山県出身。
1969年にDJバー「キャッチボックス」を西麻布に構え、音楽業界とのコネクションを持つようになる。
1973年、アメリカのサブカルチャー誌「ローリング・ストーン」の日本語版スタッフとなり、制作指揮を務める。ここで小林克也との接点を得る。
1975年に「ローリング・ストーン日本語版」がスタッフの不祥事により廃刊に追い込まれるが、同時期にビギからの依頼を受け、それがスネークマン・ショーに繋がっていく。
プロデューサーだが、スネークマン・ショーのいくつかのコントにも参加している。
プロデュース・カンパニー「株式会社クラブキング」代表取締役。
小林克也 1941年(昭和16年)3月27日生まれ、広島県出身。
小学6年生の終わりごろから親戚の知り合いに英語を習うようになる。発音を徹底的に鍛えられたという。
中学時代は海外短波ラジオ放送を聴取し、ロックにも目覚める。
慶応義塾大学経済学部在学中に運輸省の通訳案内業国家試験に合格し、外人相手の観光ガイドのアルバイトを始める。ただ、このアルバイトに精を出し過ぎたのがアダとなって、大学の経済学英語原書に全く興味を持てなくなり中退してしまう。
その後は、外国人相手のナイトクラブなどで司会をして生活していた。
1970年、ラジオ関東の「バブリング・ポップス」でDJをするようになると、その素晴らしい英語力と声質は高く評価されるようになる。
1976年からは桑原茂一、伊武雅刀と「スネークマン・ショー」を開始するが、当初は小林克也だということを伏せていたという。
1980年代のフジテレビの「THE MANZAI」でのナレーションも「ナウい」と若者に受けた。
1981年、テレビ朝日「ベストヒットUSA」スタート。司会を務め、MTV人気(洋楽ブーム)も手伝って大人気番組となる。
1982年に中年バンド「小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド」結成。
英会話の学習本も数冊出している。
伊武雅刀 1949年(昭和24年)3月28日生まれ、東京都出身。
高校生のときにNHK名古屋放送局制作「高校生時代」(後の「中学生日記」)のオーディションを受け、1967年度放送分に森本レオとともに出演した。
本格的に俳優を志し、高校を中退して現代演劇協会付属現代演劇研究所「劇団雲」に入団。
1年ほどで「劇団雲」を辞め、仲間と新たに旗揚げした劇団に移り、工事現場などでアルバイトをしながら風呂トイレ共同の三畳一間の下宿(アパートかも)で生活していた。
渡辺貞夫のラジオ番組でパーソナリティーのオーディションがあり、それを受けたところ、声の良さを買われ合格。ラジオ出演するようになると、CMの仕事なども入るようになった。
1974年の「宇宙戦艦ヤマト」のデスラー総統役で一躍有名になる。(ヤマトでは、藤堂平九郎、美男司令、ナレーションも務めている)
本人は「声優の仕事は本意ではなかった」と語っているらしいが、声優の仕事は結構な数やっていて、調べてみると「このアニメにも出てたのっ!!」とビックリするほどである。
1976年末頃、小林克也に誘われ「スネークマン・ショー」に参加。
その後は、俳優にナレーションに大活躍なのは皆様ご存じの通り。
 
   
  私の「スネークマン・ショー」との出会いは、YMOの「増殖」からだった。
私より年上の人や関西圏で育った人なら、もっと早くから知っていた方も多いのであろう。
「増殖」は、友人と一緒に何度も聞いて、何度も笑った。
学校の音楽の授業で「好きなレコードをみんなで持ってきて聴こう」という日があって、
(おそらく、日ごろ生徒がどんな音楽を聴いているのかのリサーチだったのだろう)
「増殖」を持って行って先生に睨まれた。(というか、冷たい目で見られた)
クラスのみんなにもあまり評判はよろしくなかった気がする。

その後、

アルバム「急いで口で吸え」(通称)は、YMOの「磁性紀〜開け心」目当てで購入。
ここにきてスネークマン・ショーは(ウチの地元で)メジャーなものになったのか、
学校の給食時間の校内放送で取り上げられたりもしていた。

流れで、
EP「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」も購入。
今思えば、アルバムと何ら変わらないトラックっぽいA面と
カラオケのB面
・・・買う必要なかったんじゃないのか?
と、当時の自分に小一時間説教したい気分だ。

アルバム「戦争反対、恐い死ぬのは嫌だ!」は友人が買ったのでカセットテープへの録音で済ませた。
今思えば、このアルバムこそが購入すべき「スネークマン・ショー」だったのではないだろうかっ!?
いろんな意味でっ!!
僕の好きなフラウ・・・、そして金髪さん・・・。

カセット「海賊版」は購入した。
動機は覚えていない。
たぶん「YMOメドレー」のためだと思う。
ホントだよ。

翌年の「ピテカントロプスの逆襲」は買っていない。
聴いたかさえも覚えていない。
ちょうどYMO熱が冷めたころなのかもしれない。

そこから数年経って
スネークマン・ショーを聞きながらゲラゲラ笑っている集団を何度か見かけた。
そいつらを見て
「まだスネークマン・ショー聴いてるのか」
とは思わず
「気持ち悪っ!」
と思った私は、
ある意味そのころリア充だったのかもしれない。
そう
オタクを見る目で彼らを見ていたのだ。

自分だって中身は相当オタクなのにね。
メッキは鎧になれずに
ヌチョヌチョのあわあわになってしまったとさ。

人生って・・・いろいろだなぁ〜
 
   
スネークマン・ショー
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