
1961年(昭和36年)1月31日生れ 兵庫県(おそらく芦屋市)出身
実妹に
いしのようこ(石野陽子)1968年2月20日生まれ
宝乃純(石野敦子)1974年6月25日生まれ
と、3姉妹とも芸能人である。
← 思いのほか似てないね(泣)
1976年、前年から通っていた平尾昌晃歌謡学院大阪校の講師からオーディションを受けることを勧められ、日本テレビのオーディション番組「スター誕生」に応募。
1977年、スター誕生の予備審査、予選会を通過。本選の大阪大会に出場。一般審査員の得点だけで合格点越えし、専門審査員たちと会場の観客を驚かせた。
その後、後楽園ホールで行われた第20回決戦大会では、16社からスカウト希望の指名(社名の書かれたプラカードを掲げるシステム)が入る。
決戦大会ではすでにファンと思われる観客の声援が飛んでいたという。
所属事務所をバーニングプロダクションに決定したが、父親の希望で「デビュー曲が決まるまでは実家で」歌のレッスンをしていたという。
1978年1月7日、デビュー曲が決まり上京。堀越高等学校へ転校となる。
3月25日 「狼なんて怖くない」作詞:阿久悠/作曲:吉田拓郎/編曲:鈴木茂 でレコード・デビュー
キャッチフレーズは「100万ドルの微笑」
6月25日 「私の首領(ドン)」作詞:阿久悠/作曲:吉田拓郎/編曲:馬飼野康二
10月5日 「失恋記念日」作詞:阿久悠/作曲・編曲:穂口雄右
1979年
1月25日 「日曜日はストレンジャー」作詞:阿久悠/作曲・編曲:筒美京平
4月5日 「プリティー・プリティー」作詞:阿久悠/作詞:筒美京平/編曲:船山基紀
7月5日 「ワンダー・ブギ」作詞:阿久悠/作曲・編曲:馬飼野康二
9月25日 「ジュリーがライバル」作詞:松本礼児/作曲:幸耕平/編曲:萩田光雄
1980年
1月1日 「春ラ!ラ!ラ!」作詞:伊藤アキラ/作曲:森田公一/編曲:竜崎孝路
4月5日 「ハートで勝負」作詞:松本礼児/作曲・編曲馬飼野康二
7月5日 「めまい」作詞:有馬三恵子/作曲:川口真/編曲:船山基紀
9月21日 「彼が初恋」作詞:有馬三恵子/作曲:筒美京平/編曲:矢野立美
11月21日 「フォギー・レイン」作詞:三浦徳子/作曲・編曲:馬飼野康二
両A面「恋のハッピー・デート」日本語訳詞:森雪之丞/作曲:B・Findon、M・Myers、B・Puzey/編曲:矢野立美
ザ・ノーランズ「Gotta Pull Myself Together」(邦題:恋のハッピー・デート)のカバー
1981年
2月5日 「思いっきりサンバ」作詞:有馬三恵子/作曲:筒美京平/編曲:大村雅朗
4月21日 「彩りの季節」作詞:有馬三恵子/作曲:川口真/編曲:船山基紀
6月21日 「恋のサマー・ダンス」作詞:森雪之丞/作曲:鈴木サブロー/編曲:萩田光雄
7月21日 「バーニング・ラブ」作詞:松本礼児/作曲:幸耕平/編曲:萩田光雄
9月 長渕剛と婚約記者会見を行う。(私の長渕剛嫌いが決定される)
1982年
1月22日 長渕剛と結婚式を行う。(当初の予定では1月15日だったが、長渕の母親の体調悪化で延期となった)
1983年
3月 長渕からの家庭内暴力や長渕の母親との確執が原因で別居。(私の長渕嫌いは永遠のものとなる)
5月 長渕と離婚。結婚で引退していた芸能界に復帰。主に女優として活動。
1985年
アイドル時代のトレードマークだった八重歯を矯正。テレビ番組で「削っちゃったの」と話している。
1990年
俳優の広岡瞬と結婚。
1996年
広岡瞬と離婚。
2000年
元極真空手全日本チャンピオンで実業家、岸和田市議、新進党大阪府第18総支部会長、新進党大阪府連常任幹事の大西靖人の愛人となる。
大西の妻も認めていた関係だったらしいので、事実上の第二夫人と言えるかもしれない。日本の法的には多重婚となってしまうが。
大西、本妻の息子、石野の三人で生活していたこともあるらしく、本妻もインタビューで「子供たちから「お姉ちゃん」と呼ばれて慕われていた。皆仲良し。主人はモテる人でした。そんなモテる男を選んだ私の目に狂いはなかった」と語っているらしい。
なんとも羨ましいというか。男冥利に尽きる言葉ですねえ。普通の男がやったら袋叩きに遭いそうですが、格の違いというか、甲斐性があるというか、懐の大きい人だったんでしょうね。
2003年
1月22日 大西靖人(44歳)が肝臓癌で死去。
大西は最後に、本妻と石野の手をしっかり握って「俺はお前たち二人に出会えて幸せだった」と言って息を引き取ったという。(本妻の証言)
看病していた時期も本妻と石野で交代して面倒を看ていたそうだ。
葬儀の場にも本妻と共に石野の姿があったという。
実のところはわからない。当事者しか知りえないことも多くあるだろう。本妻とはすでに夫婦としての関係は終っていたが、体面的に籍を離すことが出来なかったので再婚できなかったのかもしれない。一夫多妻的思考を受け入れられる人たちが揃っただけなのかもしれない。
なんにせよ、石野も本妻もその子供らも、外に対して何の不満も漏らしていなさそうではある。(特に調べたわけじゃないですけどね)
2011年
ミュージカル「ヒロイン~女たちよ タフであれ!~」で、榊原郁恵、早見優、松本伊代とともに「ミューズ」結成。テレビなどでも「ミューズ」として活動していた。
「男の勲章」で有名な嶋大輔は、アイドル時代の石野真子の親衛隊をやっていたそうな。

江口寿史の漫画「すすめ!パイレーツ」は真子ちゃん推し的な部分があって、その影響を私はもろに受けている。
← 江口寿史氏が描く石野真子はこんな感じでした
もちろん、もっと可愛く描いていたはずです
江口寿史の推しと、実際の彼女の可愛さも相まって、私がファンになったアイドル第一号が石野真子なのである。
と言っても、レコードも写真集も購入しなかった程度のファンではある。
個人的に(なのかな?) 石野真子、大場久美子、柏原芳恵 で三人娘って思ってました。
ギターも弾けちゃうそうです。コードはあまり多くは覚えていないようなことをご本人が話していたような記憶があります。
YouTubeにオーダーメイド・ギターを作ってもらう動画があったりしますよ。
お子様はいらっしゃらないらしく、彼女の遺伝子が残されないというのは残念でありますな。
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